2009年6月24日(水)~7月12日(日) 3F mini gallery
文 / 小金 沢智 (neutron tokyo) 写真 / 表 恒匡
茫漠とした画面に引かれる一本の水平線が作り出す広大な空間と、その中の両端にほぼ同一のサイズで描かれる、しかし現実には同じサイズではあり得ないヘリ コプターとトンボ。空間の使い方及びモチーフは、近年の西川の作品を大きく特徴づける要素である。ただ、それらは横長の比較的長大なサイズの作品にのみ限 定され、小品で用いられることはない。と言うのは、西川は先の要素を組み合わせる場合、ヘリコプターとトンボのどちらもが私たち鑑賞者の視覚に入らないよ う考慮しているのである。何かが描かれていることには気づく。しかし、その正体が一瞥しただけでは判然としないことが、水平線の先へ先へと視線を移動させ る運動性も伴って私たちに奇妙な浮遊感を与える。
加えて、画中には真横から見たもの、真上から見たものが混在している。たとえば、《nowhere but there 3 》(oil,beeswax on hemp,panek 705×1620mm 2009年)の画面奥には木々が真横から見たように描かれているが、手前に描かれている花々が真上から見たものであることは明らかだろう。花畑にヘリコプ ターとトンボの影が描かれている《interlude 1》(oil,beeswax on cotton,panek 450×450mm2009年)ならばいずれも真上からの視点で自然だが、これではいささか不自然である。
《nowhere but there 3 》(oil, beeswax on hemp, panel / 705×1620mm / 2009年)
ヘリコプター、トンボは真横からであり、私たちの視点は一向に定まらない。いや、一部分を見るかぎりでは定まるが、全体を見渡そうとしたとき、それはまっ たく不可能になるのである。西川のペインティングは一見すっきりとした印象の気持ちのよい作品だが、このような視覚をめぐるトリックが随所に散りばめられ ている。
《interlude 1》
(oil, beeswax on cotton, panel / 450×450mm / 2009年)