ステイトメントにあるように、描かれている人物は正確には人ではなく、「人型」である。あくまで人の形をした何かであり、それは雲が何かの形に見えること と同じなのだ。「Planetica」シリーズ以前の作品だが端的にその気分がわかるのが旧作の《夕暮れ》(紙・アクリル・鉛筆・木製ボード、A1サイ ズ、2007年
)で、描かれているのは雲ではなく家だが、その集合が人の形をしている。このような考え方は第一に足田の制作手法に基づいている。足田は制 作にあたり特に下絵を作るようなことはせず、画面に色を置いていく中で形を見出していく。つまり具体的なビジョンが最初からあるわけではなく、それは制作 の過程で次第に見えてくるものにほかならない。それゆえ「人型」なのである。こうした絵描きとしての身振り=身体性を強く感じさせる制作手法は、足田が 「Planetica」の一連のシリーズで何かしらの〈物語〉を創造しようとしているわけではないことを意味している。
左端:《夕暮れ》(2007年 / A1サイズ / 紙・アクリル・鉛筆・木製ボード)
同様の場所に展示された作品として蒸気機関車があるが、それがエンジンや工場とは異なって実際に動くという点は重要である。その中に動力があるわけでは なく、手で押すことによって車輪が前後に動くだけではあるが、それでも動くのか動かないのかではこれらの作品の見方は大きく異なる。作品に触ることは厳禁 ではあったが、飯田の作品の最大の面白さは、色やかたちといった視覚的な要素だけに留まらず、手で触れてそのヴォリュームを感じ、実際に動かすことすらで きるプロセスにあると思うから、そのことはここに記しておく必要がある。
今回の出品作品を見れば明らかなように、各画面に登場する「人型」が二人以上であることはない。色の調子やタッチ、雰囲気はいずれも似通っておりゆるや かな連帯を想像させるが、それぞれが独立していることから、その関係性は定かではない。もし今回の個展で足田の作品から捕らえ所のなさを感じた人がいたと したら、理由はおそらくそこにある。大小さまざまな〈物語〉が溢れるこの世の中で、〈物語〉から派生した〈キャラクター〉に慣れてしまっている私たちは、 〈物語〉なき〈キャラクター〉と親しむ方法を知らないのだ。
今回棚に掛けられた原画作品は即興的な軽やかさが魅力であり そうとも言えないが、メインであるアクリルを使用したペインティングはそれらと対照的に重厚な画面に仕上がっている作品が多かった。それは一点一点が一つ の作品としての強度を備えていたことを意味するが、一方で作品との向き合い方を難しくさせた側面もあるかもしれない。だがいまだシリーズは四度目であり、 おそらくこの「Planetica」は継続されていくことで次々に新しいビジョンが開けていき、イメージが更新されていく。今はまだ、その途中を素描する に留めたい。
《手向け》(2009年 / F10 / キャンバスにアクリル)