「 光の名残 - 明滅の庭 - 」 塩賀史子 (平面)
2012年2月22日 (水) ~ 3月11日 (日) [ 会期中 2月27日, 3月5日 月曜閉廊 ]
「光の名残 - 明滅の庭 -」 に寄せて
「震災後」という表現の仕方はあまり適当で無いと思っている。何故なら「事前」「事後」のようにはっきりとした境目として「3.11」は存在しているのではなく、むしろその日を境に私達の住む世界、それを覆う空気(大気でもあり、世の中を覆う雰囲気やムードと言ったものを併せて)は劇的に変わり、さらに日を追うごとに変化し続けている。だから「3.11」以後の日々は「3.12」「3.13」・・・と果てしなく続く一日単位の出来事の積み重ねでしかなく、日本は今「事前」はあっても「事後」を語れる程の総括も出来なければ展望も開けていない。そんな忸怩(じくじ)たる鬱屈した思いを抱えながらも、暦はもう一年を経過しようとしているのだ。まさに今展覧会の最終日は3月11日。365日目の光景は果たして、今この時からもどう変化するのか、確かなことは誰にも分からない。
片や日本を超えて世界各地も揺れ動いている。もはやマネーのグローバリズムに支配されてきた20世紀型資本主義は明らかに疲弊し、ネットワークは均質化よりも個々の独自性を結ぶためのものとして再構築されようとしている。日本の国際化を欧米の主張に乗っ取って叫ぶ時代はもはや過ぎ去ろうとしている。私達の生きる小さな島国の潜在的な人材・文化資源を今こそ国内全体で共有し育み、次世代の「世界」の表舞台に堂々と立つべき者達を今こそ生かさずして、本当の国力など如何に蓄えようか。私達は今、身の回りのあらゆる事象に目を向け、本当に必要なものを見極め、与えられる消費ばかりを繰り返さず、在るべき時代の到来を確かなものにしなければならない。それがまさに今、「震災後」と言われる世の中においての確かな「空気」であり、それが感じられない者は原子力安全神話と共に時代から退席すべきである。
今の時代に生きる作家にとっても、「3.11」は直接的・間接的問わず作品及び作家の人生そのものに少なからず影響を与え続けている。意識せずとも、制作に向かう気持ちや態度はそれ以前と比べれば格段に勇気と覚悟を必要とし、結果として作品に対する執着やそれそのものの強度は増しているだろう。今まさに自分がこの世に絵を描いて見せるという行為の果てに、何かが変わるのか、何かが伝わるのか。作家はそれぞれが潜在的に同時代への訴求効果を持ちたいと願っており、そうでなければこの時代に作家であることの意義もまた、見出せないと思って当然である。
だが、あの日を境に劇的に作品が変化し(技法や素材など)、極端な態度表明をした作家は、少なくとも私の身の回りには居ない。皆それぞれが事の成り行きを注視し、自分が今何をすべきかを考え、結果として今までやって来た事を変えずに制作に打ち込もうとするのは、即ちそれまでの思考、世の中に対する見方や態度が流行や押しつけによって左右されるものでは無かったことを証明している。そんな作家達を私は心から尊敬し、愛してやまない。彼らはこれからも日本を、世界を真っすぐに見つめ、踊らされることなく作品という表現を生み出しながら、いつか必ず(あるいは今すぐにでも)この時代に本当に必要とされる表現者となるであろう。まさにそんな一人に、塩賀史子がいる。
滋賀県の野洲市に住み、教鞭をとりながら身近に存在する森林におけるフィールドワークを欠かさず、定置点の観測を繰り返しながら画面に向かい続ける彼女の絵は、しかし一つたりとも同じものは無く、ちょっとづつの変化を重ね、年代を俯瞰してみれば劇的な変化を伴っていることに気付く。究極のローカリズムでありながら、単調な制作そのものがいつしか時代を確かに切り取り映し出し、普遍的な表現へと向かっていることを感じずにはいられないのである。
技法や描画スタイルの変化に留まらず、塩賀作品の魅力は写真のようなドキュメンタリー性(光や湿度等、自然現象には二度と同じ光景が存在しないと言う前提で)と、今の時代に生きる一個人としての心象(画面に向かう日々の中での気持ちの変化)が複雑に交錯し、それでいてどこまでも客観的な風景として描かれる絵画で在り続けている点にあろう。 通底し続けるテーマはやがて年を重ねるごとにその意義や凄みを増し、作家の人生そのものに寄り添う記録ともなるだろう。そしてそれは、同時代に生きる私達自身の記録や記憶とも重なり続ける。見続けなければならないのは、イデオロギーやデマコギーによって押し付けられる物事ではなく、私達の住む世界の本質であり、私達自身である。 そして失ってはいけないのは、視界の先に宿る光- それを希望と呼ぶか夢と呼ぶか- の存在を信じる心であろう。
gallery neutron 代表 石橋圭吾 |