「反死」 丸岡和吾 (髑髏作家)
2012年5月30日 (水) ~ 6月17日 (日) [ 会期中 6月4日, 11日 月曜閉廊 ]
「反死」 に寄せて
世の中暗いニュースばかりである。それについてクドクドと書き連ねてもますます暗くなるだけなのでやめておくが、明るいニュースと言えば海外で活躍する日本人スポーツ選手の話題とスカイツリーの開業くらいだろうか。 老いも若きも将来に対し不安を抱かずにはいられない今、ふと気になるものが身の回りに多く見られるようになった。それはズバリ、「髑髏(どくろ)」である。「ガイコツ」「しゃれこうべ(漢字で書くと髑髏)」などと呼ばれるそれは、最近では「スカル」などとちょっとお洒落に発音されたりもして、すっかり巷の人気者なのはご存知だろうか?
ぽっかりと眼底をさらけ出して皮膚や筋肉はおろか表情さえも失った人間の顔の骨格は、洋の東西を問わず不吉なものの象徴であり、死を意味するモチーフであり、移ろい行く現世に対し静かなる永遠を湛える普遍的な存在でもある。 それがなぜ、今これほどまでにもて囃されるのだろうか? 「不景気だから」「生きることに前向きになれない時代だから」などと答えるのは早計である。 事はそう簡単ではない。なぜなら、ファッショナブルアイテムとして若者達の間でそれはピアスやネックレスなどのアクセサリーの主役を飾り、インテリアにもひょっこり顔を出し、漫画アニメでは欠かせないキャラクターとして(時にはヒーローとして)八面六臂の活躍を見せているのだから!!もはやそれは「終末」を運ぶかつての「死神」の姿ではなく、明らかにポジティブな意味合いを付随させた、万人に共通のアイコンとして選ばれているのである。
思えばヘヴィー・メタル、スラッシュメタル、デスメタルなどのバンドの多くが髑髏をアイコンに掲げても来たが、強面のいかつい表面的な姿とは裏腹に、彼らの音楽性・メッセージのほとんどは非常にポジティブな疾走感と切実なる生への欲求に向きあうものであった。 即ち「死」を掲げながら「生」に挑んでいたのである。 これは特に2000年代以降の社会に漂う「リアルな生に対しての無気力さ」から「自死」を選ぶ行動原理とは真逆のものであり、とても熱量が高く、バイタリティに溢れている。 そう、髑髏は地の底からでも這い上がるほどのエネルギーとパワーの象徴なのだ。松本零士作「銀河鉄道999」に登場するダークヒーロー「キャプテンハーロック」は、宇宙戦艦の正面に堂々たる髑髏をデザインし、自身のインテリアもファッションもそれはそれは髑髏まみれである。にも関わらず彼は大人の風格と余裕と色気を漂わせて星野鉄郎を導くカッコいい兄貴分でもある。あるいはアニメシリーズ「タイムボカン」では、ゆるくて憎めない敵キャラ達が自爆する際に巻き上げる噴煙がモクモクと髑髏の形を成し、ひとしきりうごめいては丸焦げの彼らを排出し、「死」どころか彼らにまた次のチャンスがあることすら予感させる。それを「再生」の象徴と取るのはいささか躊躇するが、ともあれこのアニメの影響で子供達がガイコツの絵面に対し親しみを覚えたことは間違いない。さらにもっと身近なところで探せば、neutronを代表する作家の一人「三尾あづち(三尾あすかとの双子の姉妹で知られる)」は好んでスカルやお化けなどのモチーフを表情豊かに描くが、その理由は「骸骨は人間全てが持っている共通のものだから」であり、つまりは表面的な皮膚の色や人種、宗教などの価値観を超えて存在し得る人類の最終形・理想型であるとのイメージに繋がる。
さて、そんな髑髏の系譜に今登場するのが、丸岡和吾その人である。 彼は美術よりもアパレル方面からアートの世界に挑戦状を叩きつける異色のクリエーターだが、その制作ぶりも徹底している。 モチーフとなるのはほぼ全て髑髏であり、制作手法の多くはそれぞれの素材・分野のプロに師事しながら自作しているので、さながらデザイナー兼アーティストと言えよう。 身につけるものから茶道具、インテリアまで幅広くプロデュースするアイテムはどれも髑髏や骨のディテールを可能な限り忠実に取り込みながら、機能性やファッション性も同時に追求されている点で特筆すべき点が多い。 既にここ数年で多くの発表及び取り扱い店舗を増やしている彼は、髑髏の未来を切り開く人物であることは誰もが認めるところであろう。 その世界観、創作アイデア、展開力やいかに。 個展タイトルの「反死」を冠した棺桶が何を意味するかは鑑賞者にゆだねられる。しかし彼もまた、死の象徴を掲げて生に敢然と挑もうとする勇者の一人である事は確かだ。
gallery neutron 代表 石橋圭吾 |