「 From the Faraway Nearby 」 西川 茂 (平面)
2012年5月5日 (土) ~ 27日 (日) [ 会期中 5月7日, 14日, 21日 月曜閉廊 ]
「From the Faraway Nearby」 に寄せて
昨年の春から夏にかけて、西川茂は東京と京都の三会場で充実の発表を展開し、一気に注目と評価を集める作家となった。「3.11」の影響で順延となった「アートフェア東京 2011」はもともとの日程では三月末に開催される予定だったため、そこでそれまでの代表作を出展し、その直後にneutron tokyo で新作を発表、さらに五月にはneutron kyoto の十年間の最期を飾るべく「world」(世界中の空を描くプロジェクトで、203枚で完結する予定。 現在も進行中)の75 枚組のインスタレーションを大壁面に実現させると言う流れであった。 三月末のアートフェアが結果的には七月に繰り越されたため、西川にとっては出来立ての新作の中からこれぞと言う作品を選ぶ事が出来たのも、素晴らしい評価と販売実績に繋がる要因となった。そして一連の発表は事後にも話題を呼び、今年に入ってからは原宿の東郷神社に隣接するフレンチレストラン「Restaurant - I(アイ)」での個展が実現し、今なおロングラン公開中である(食とアートを繋げるプロジェクト「+ART CLUB」の企画により実現)。
一年などはあっという間の月日の流れで過ぎ去るものである。 しかし日本にとってのこの一年は容易に過ごされたものではなかった。 まさに西川が昨年の出展シリーズに向けて追い込みをかけている最中、日本を襲った悲劇はその後の私たちの生活を、思考を、価値観を、これから先に目指すべき道を、大きく変えた。 その中でアーティスト達も誰もが自問自答を繰り返し、自分が果たすべき事、表現すべき事について真摯に向き合い続けて来たことだろう。 だが一年経とうと、表面上の復興が如何ほどに進もうと、私たちはもう「かつての世界」には戻れない。いや、戻るべきではなく、新しい未来をこの地平の上に築いていかなくてはならない。 しかし一方では、私たちの世界は緩やかに緩衝し合い、丸い地球の上で全てが繋がっている。 だから日本の悲劇は日本だけのものではなく、また異国の出来事も同じである。 人間が歩み続ける限り起こるであろう悲喜こもごもは、全て同じ地球の上の出来事、歴史の中にある。
西川がキャンバスの上に油彩と蜜蝋を駆使して表現する物事は、そうした地球上の何処かの出来事であり、必ずしも場所や地域を限定しない。 具体的な地名を表すタイトルも多いが、その限定的な地域は世界の一端として選ばれたものであり、必ずその上には世界を等しく覆う空があり、下には全ての生き物が棲息する大地があり、たとえそれが山として隆起していようとも、あるいは海に深く沈んでいようとも、同じ地表であることを常に意識されている。 天と地の境界線に私たちは生きている。 その奇跡的で幸福な出来事は当たり前のこととして誰も顧みることは無いだろうが、おそらくは西川自身にとって片時も忘れ得ぬ大切な事実なのである。 彼の描くヘリコプターとトンボはそれぞれ人間の作り出した文明(凶暴性と知恵を内包するものとして)と自然(地球上に発生する数多の生物・現象として)の対比を促しながら、それらが共存する瞬間をイメージしているものであるのだが、それぞれが作品に表されているように同じ大きさで見えるという事は、物理的に「あり得ない」ことではなく、しかし非常に稀な出来事でもある。 だがそのような奇跡的な瞬間を最初から「起こらない」と決めるのではなく、「必ずどこかにある」「不可能ではない」と思うことこそが、私たち人間がこれから未来を切り開く上で重要な指針となるのではないだろうか。
今ほど私たちが「世界と繋がっている」と実感出来る時代は無いだろう。携帯電話の電波網は大気と同じく地表を多い、インターネットの仮想空間はもう一つの地球を概念上に作り出している。しかしそれらもまた、私たちが住むこの大地の上にあり、空の下にあり、同じ大気の中にある。全ては最初から繋がっていて、これから先も運命共同体である。たとえ私たちが一生を終えるまでに訪れる事の出来る国や地域が限られていようとも、西川茂のように想像を働かせ、喜びや悲しみを共有することは、誰にでも可能である。
gallery neutron 代表 石橋圭吾 |