2009年3月4日(水)~22日(日) 1F main gallery + 2F salon
文 / 小金 沢智 (neutron tokyo) 写真 / 表 恒匡
もやのような光に包まれて、人々は動き回り、色とりどりのオブジェは天井から降り注ぎ、積み重なり、 またたく間に消えてゆく。三枚のディスク毎に異なるサウンドが、一続きの室内で反響しながら互い に重なり溶け合っていく。そしてそれらの終わりのないループ、ループ、ループ。とかく浮遊感のある作品である。
林勇気の新作《afterglow》(1min30sec 、Disc1~3 、2009年)はこれまでの作品と同様、自身が撮影した写真を元に制作したアニメーションである。ステイトメントにその制作経緯と手法が簡潔に述べられているため引用しておこう。
「夜中に真っ暗な部屋でインターネットをしていた。
モニターには誰かの撮影した写真の景色の中 の光がうつっていて、その眩しさは感覚や意識のどこかに吸い込まれていくような気がした。
共有さ れた光、データとしての光、時代の光。
モニターにうつる、インターネットにアップされた写真をカメ ラでもう一度撮影し、パソコンにとりこみ、光を一つづつ切り抜き、重ね合せてアニメーションを制作した。」
ここから明らかになるのは、《afterglow》に登場するオブジェはつまり、一見具体的な形や名前を備えているように見えながらもそれのない、抽象的 で無名な存在にほかならないということである。動き回る人々が実は林の扮装であるという点で固有性を持っていると考えられなくもないが、全身に白い衣装を 身にまとい、知らされない限り作家本人と判断することは難しいという点で、やはり固有性は剥奪されていると言っていい。彼らは決して行動を共にしない。画 面上には時に10人もの人々が現れるが、彼らはテンポよく、しかし機械的に歩き回り、飛び跳ねては立ち止まるだけである。