2009年3月4日(水)~22日(日) 3F mini gallery
文 / 小金 沢智 (neutron tokyo) 写真 / 表 恒匡
金理有の作品を見ると静嘉堂文庫美術館に収蔵されている《曜変天目茶碗》(南宋時代)を思い出す。《曜変天目茶碗》は漆黒の碗の中に星のような斑点が青 白く浮かび上がっているのが特徴で、それは私たちも日常視認できる夜空に煌めく星々や特殊な望遠鏡を用いて撮られた天文写真を思わせ、かつて人が掌の中に 宇宙を抱えていたことを想起させる。しかし実際にその茶碗を確認すると金の作品とは趣が異なっていることに気づく。今回発表した新作に《彩碗》(セラミッ ク、2009年)という茶碗があり私はまさにこの作品を見て《曜変天目茶碗》を連想したのだが、《曜変天目茶碗》の特徴として斑点に青と白の明滅するよう なグラデーションが認められるのとは対照的に、《彩碗》は深海のような落ち着きを見せそのような特徴が見受けられるわけではない。
ではその連想が記憶違いからくる誤りかというと、そうとも思えない。先人の仕事から学び研究を重ね制作している金の作品にその連想へと至る片鱗が表れて もなんら不思議はなく、だから私は《曜変天目茶碗》のイメージと金の作品が大きく時代を隔てながらも脳内で結びついたことをまず記憶に留めておきたいと思 うのである。
今回の展示から明らかなように、金の作品は二種類に大別できる。《虚視坊》(セラミック、2008年)や《三眼峙坊》(セラミック、2008年)のような実用性の薄い〈オブジェ〉と形容できる作品と、《線刻器 #4》(セラミック、2009年)や《彩腕》(セラミ
ック、2009年)のような実用可能な〈器〉と称して問題ない作品である(ただし前者も中身に空洞を有する点では同じく〈うつわ〉にほかならない)。それ らは明治以来なされている〈美術〉と〈工芸〉という区分をなぞれば一見相反するもののように考えられるかもしれないが、金の作家意識をむしろ江戸時代以前 に求めればその思いは途端に氷解するだろう。
つまり職人としてのそれである。