|   |   |   |   |   |
Review
  |   |   |
Exhibition Review 2
金 理有 展 「臨界点」 【開催を終えての再考論評】

 たとえば桃山時代に活躍した絵師、狩野永徳の作品に《唐獅子図》(六曲一双屏風、1582年、宮内庁三の丸尚蔵館)がある。伝来によると豊臣秀吉が毛利輝 元へ贈った屏風とされるがそれはともかくとして、永徳は二頭の唐獅子を縦二メートル、横四メートルを超す巨大な屏風の中を悠々と歩かせた。これこそ時の為 政者が自身の荘厳さを代弁させるような描画を求め、絵描きがそれに応えた証左であろう。室内空間の間仕切りである屏風はいわば実用品(工芸品)である。人 が生きる空間だからこそその住人に適った設えが発案され、それゆえにたとえ奇抜であろうとも注文主が認めさえすれば実現される。このような職業画家から今 言うところの芸術家をイメージすると齟齬をきたすが、プロフェッショナルとしてのその仕事は高い技術に裏打ちされ、だからこそ後世に残る仕事となる。言う までもなくこれは永徳に限ったことではない。〈美術〉か〈工芸〉か、という区分は本質的な作品の優劣を決めはしないし、作家の矛盾ももちろん意味しない。

 

  

  先の《虚視坊》や《三眼峙坊》を一見すれば推測できるように、今回展示した金の作品はともすれば奇怪なものとして写るかもしれない。青銅器を思わせる黒 光りする表面と幾何学的な文様、そしてそこに付けられた一つ目あるいは三つ目は異形のモンスターのようである。けれども作品を注視すればその特異な発想が 確かな技術によって一つの形になっていることが明白であろう。所々ヒビのような亀裂が走っている箇所がないわけではない。だがそれはまさにそれらの作品が 竃で業火に焼かれ、傷つきながらこの世に生を受けた証左である。センチメンタリズムを恐れず言えば、むしろそのありようが生き物のように生々しさを表出さ せていないか。だから、焼き物にとってそれがきわめて困難な注文であることは知りながらも私はより大きくエキセントリックな作品を見たいし、その一方で掌 におさまる器でもって晩酌をしたいとも思う。〈オブジェ〉に類するものに関しては旧作の出品だったが、前回発表時は壁に掛けた《迷啼意伝子》(セラミッ ク、2008 年)を平置で展示するなど作品を見せる上での工夫もあり、今後の展開を多いに期待させる展覧会だった。

  

Review, 1
・開催展示再考論評1

Review, 2
・開催展示再考論評2

Exhibition
・展示企画書


Review Main Page

▲PAGE TOP
 neutron tokyo
 〒107-0062 東京都港区南青山二丁目17-14
 TEL & FAX 03-3402-3021
 mail : info@neutron-tokyo.com
 ニュートロン東京へは下記よりお問い合わせ下さい
 ・問い合わせフォーム
営業時間 11:00~19:00 (月曜定休)
地下鉄銀座線「外苑前」駅より徒歩約8分
「青山一丁目」駅より徒歩約15分
 
Copyright © neutron All Rights Reserved.