だから、ほとんどの作品がストロークとその色彩に目がいくことを考えれば、本展は展示そのものが一つの風景となり個々の記憶に留められたときに初めて意味 をもつ。一階のハイライトについて言うならば、それは大作二点が掛けられたギャラリー入ってすぐの第一展示室というよりは、左側の第二展示室、その中央か ら第一展示室を眺めた光景である。そこでは連作【Sophia】(72.7×60.6センチ、キャンバスに油彩、2009年)を横目に奥の【水の空】 (41×41センチ、キャンバスに油彩、2009年)に視線を向けることで、【春になれば】(41×41センチ、キャンバスに油彩、2009年)、【メロ ウイエロウ】(145.5×113センチ、キャンバスに油彩、2009年)、【うわのそら】(18×14センチ、キャンバスに油彩、2009年)といった 様々な色彩の作品が視界に入ってくる。問題は色彩だけに留まらない。【うわのそら】や【春になれば】は他のストロークが強い作品とは異なる、塗りや点描の 要素を含んだ実験的要素の強いものである。なおそれらの要素は、アクリルで即興的に描かれた【Sketch】と題されたドローイング群によりあらわれてい ると言えるかもしれない。本画の下絵という位置づけではないが、まったく違うもの、と切り離すことができないことはもちろんである。そして、よい意味での 軽さや伸びやかさがそこにはある。
本展は連作を横一列にまとめ、色彩の調子が近い作品を同じ展示室に掛けるなど、きわめてオーソドックスな展示構成が採用された。しかし完成した展示は、 そのためにいささか単調に見えたことも事実である。構成もまた、寺島の変化する作風を表象するかのごとく混沌としたものでもよかったかもしれない。日常的 に私たちの視界には、様々な形態の、そして彩りのものが渾然一体となっている。その雑多さこそ風景だと私は思う。