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さて、これらの作品は、対象となる風景をカメラで写真に撮り、それを絵画に起こすという段階を経て制作されている。しかし塩賀が描きたいと欲するものが写 真のような絵画ではない以上、アトリエという室内ではなく、屋外のそれこそ森の中で行われるべきではないか?という問いが私の中では浮かばざるをえない。 たしかにある空間の、特定の時間を描きたいと欲するならば、カメラとは至便な機械である。しかしそうして撮影された写真は必ずしも、撮影者が見た風景とは 一致しない。それはまずカメラがレンズを通して見た風景であり、パソコンを媒介にするのであればモニターが見たそれでもある。
すなわち写真を用いた絵画は、描写の対象によっては、機械の性能の如何によって作品のそれが大きく左右されてしまう可能性がある。だから私は塩賀が画家 であり写真家ではない以上、日常的な風景の光や影を描くことで生と死の表出を少なからず求めているのであればなおさら、カメラではなく自身がまさに見てい る風景を執拗とも言えるほどに見つめ、その場で描いてほしいと思わずにはいられない。その場では光はもちろん存在しているものがあまねく変化するため、と ても限られた一瞬だけを再現することは適わないだろう。しかしそれで構わないのである。そうした流転の場こそ、私たちだけではない万物が生き、死んでゆく 場にほかならない。塩賀は求めるものが自身の記憶の中で立ち上がる生と死なのか、あるいは実体験としてのそれなのか、繰り返すが今回の作品は光に焦点が 合っていたため、その狭間にあるようである。作家として大きな過渡期なのかもしれない。