このように冬耳は一つ一つのイメージを組み合わせることや、《知らないあかり》(キャンバスにアクリル絵具、P4、2009年)のように一つの画面の中に だまし絵的に複数の層を構築することで、まったく新しいイメージを生み出そうと試みる。そう、色彩が、下絵が描かれてから事後的に決定されることから明ら かなように、まず重要なのはイメージなのである。花すら空想上のものが含まれ、描かれているものは必ずしも実在するものではない。しかし画面の中ではそう でなければならないかのように存在しており、その意味で今回の個展は現時点での冬耳のペインターとしての本領が十分に発揮されたものだった。
《知らないあかり》 (キャンバスにアクリル絵具、P4、2009年)
最後に、二階の片隅に展示されていた《the story》(キャンバスにアクリル絵具、M10、2009年)に触れたい。ブルーを基調にした地に黄色い花びらが上から下へ溶けるように描かれているこ の作品は、平面的な構成が琳派の図案的な草花文様を思わせる一方、ウォーホルの《FLOWERS》のような死の雰囲気も少なからず帯びている。この冷徹さ はまず寒色によるものであるが、その上での画面構成もまた清閑としており、ポップな作品が目立つ冬耳の作品中で異質な作品であることが指摘できる。私はこ の作品の異質さが、今後の作品にもあらわれることを期待している。なぜなら冬耳の作品は、そのヴィヴッドな色彩ゆえ、時に鑑賞者を圧倒しすぎる嫌いがあ る。もちろん色彩は冬耳の作品の大きな特徴であるのだが、だからこそその幅が押し拡げられたとき、より多くの注目を集めることになるのではないか。
《the story》
(キャンバスにアクリル絵具、M10、2009年)