小倉 正志 展 「21世紀都市」
2009年6月24日(水)~7月12日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
今年1月に京都で開催した「祝祭の日」と同様、タイトルはおろか出展作、展示配置まで石橋が担う小倉正志展には、この作家の従来出し切れていないと思われ る制作の本質を見せるため、代表作を中心に年代を交えて一つの展覧会を構成するという目的、即ちキュレーションという形で彼の作家としての仕事を再発見し たいという気持ちがある。
さて、その東京展のタイトルは「二十一世紀都市」であって、「二十世紀都市」ではない。そこにはミレニアムを跨ぐというだけではない、都市の本質的な変 容を示唆しての意味が込められているのだが、果たして小倉正志は二十世紀の終わりの頃に画業を始めているので、一概に作品が全て21世紀になってからのも のであると言う事ではない。また、このタイトルには小倉正志(1963年生)と石橋圭吾(1973年生)の歳の差10歳をモノともしない「二十一世紀」と いう作られた未来像と、現実に今目の前にある都市の姿との比較を促す意味も含まれている。私達は否応無しでもこの新世紀を、刻々と変容する新しい都市とと もに、生きて行かねばならないのである。20世紀最大の発明とされたインターネットは21世紀に完全に大陸を繋ぎ、世界を同時多発的な一国家へと変貌さ せ、もはや政治のコントロールよりもネットの影響力の方が強い時代である。それが国籍の無い都市、既視感と競争原理に支配された、「二十一世紀都市」の姿 である。
小倉正志はアクリルペイントを基本とし、マーカーでのドローイングや近年では版画での制作など幅を広げているが、本質的には画家である。そのテーマとな るのは一貫して「都市」という存在であり、時代の変遷とともに必然的に彼の描く光景もまた変容する。初期の、子供のようなアグレッシブな線と派手な彩色に よる成り立ちから次第に画面は色の深さとイメージの奥行きを備え、やがて世紀を跨いで以降は一様でない都市の在り方を様々なスタイルで描写してきた。そし てもちろん、今も続く。
彼の描く都市は場所や国籍を限定していない。日本らしきイメージはおろか、特定されるような情報は見当たらない。人を表すアイコンや花火のように打ち上 がるエネルギーは、都市の内包する多様性や溢れんばかりの情熱を示すかのように、飽きることなく繰り返し登場する。色彩は実に幅広く使われるが、およそ原 色のビビッドな印象が強い。さりとて色による影響と言えば、感情に訴えかけるというよりも、都市の中に蠢く雑多なエネルギーの集合的な、瞬発的なエネル ギーの噴出の度合いを示すかのようで、色の強さは画面全体の勢いやイメージの強さと比例するため、鑑賞者は渾然一体となった画面からのただならぬ圧力をま ともに受け続けると、目が眩むほどの疲労を感じることだろう。即ち都会慣れしていない人が、大都市のど真ん中で圧倒的な人と物量にフラフラするように。だ からこそ、小倉の絵画は一つ一つを丁寧に、しっかりと紡いでやらないと、個々の印象を見落とすことにもなりかねない。
私が思う都市と、小倉が描き続けてきた都市のイメージとの合致する部分が、この展覧会の作品で出されている作品であると言っていいだろう。そしてそれ は、おそらく小倉作品の中でも比較的はっきりとした像を結んでいる都市達の姿であり、その興亡、明暗、浮遊と輪廻を繰り返す生命体としてのアイデンティ ティーを認識するには充分の内容となることを期待する。もちろん新作も交え、代表作や未発表作も含むベスト展と言っても差し支えないだろう。
小倉と私と、その他大勢の二十世紀少年達が夢見た二十一世紀に、残念ながら平和で機能的で人智を尽くした未来都市としての姿はほとんど見当たらない。相 変わらず、破壊と創造の喧噪に包まれ、人類による環境破壊には歯止めがかからない。しかし、都市は生きている。人間は都市のエネルギーであり、構成員であ り、道路という血管を通る血液でもある。過去に共産党の構成員を「細胞」と呼んだ時代があったが、まさに私達は細胞である。まだ見ぬ未来都市を作るのは、 一人一人、私達「細胞」に託された永遠の課題でもあり、DNAに書き込まれた人類の定めなのだろう。
小倉さんの個展に寄せて / 朝日新聞記者 徳山善雄
東京・九段の桜もあらかた散り、落ちた花びらが風に吹かれて脚にまとわりつく。
2009年。持てるものと持たざるものの溝が広がり、社会は分裂の危機に瀕している。
日本も、世界も。
日本では、内定取り消し、派遣切り……。
この暗いトンネルをいつ抜けられるのか、先が見えない。
アメリカでは金融破綻の後遺症が、なお深く根をおろす。
このようななか、「チェンジ(変革)!」を訴え、米国初の黒人大統領が誕生した。
オバマ米大統領は、九段の桜が満開の4月初め、チェコの首都プラハで演説。
アメリカが原爆を使った唯一の核保有国として、
核軍縮を進める道義的責任があるといった。
今年は広島と長崎への原爆投下から64年、ベルリンの壁崩壊から20年。
アメリカの大統領が、たったこの一言をいうのにこれだけの歳月がかかった。
前回の東京での個展で発表された小倉さんの作品に、
アメリカでの9・11自爆テロ事件の「予言」めいたモチーフがあり、
驚かされたことを思い出した。
そして、今回の個展に出品する何点かの作品を見せてもらった。
現代……、都市……。小倉さんの作品には、悲鳴と、どこか希望ものぞいていた。
東京での7年ぶりの個展、おめでとう。