2009年7月15日(水)~8月2日(日) 1F main gallery + 2F salon
文 / 小金 沢智 (neutron tokyo) 写真 / 表 恒匡
入浴中の女性を水との関係性から描いた《Out of bounds》(2003年)、女性の顔や頭髪を花々で装飾した《blooming》(2004年、2005年)、風景を鳥の視点から想像し切り取った 《bird eyes》(2006年、2008年)。これらのシリーズに加え、現実と水面の関係を逆転させた新作の《The world turns over》(2008年~)シリーズを会した今回の個展が明らかにするのは、中比良が一貫して「世界」のありようの〈不確かさ〉を描いてきたということに ほかならない。
上左 , 《blooming 》 シリーズ(2004, 2005年 / Oil on canvas)
上右 , 《bird eyes》 シリーズ(2006, 2008年 / Oil on canvas)
分子生物学の福岡伸一も述べているように、「世界」は主体によってその姿を大きく変える。著書の『生物と無生物のあいだ』(講談社、2007年)には生 物の種類によって視認できるもの/視認できないものが存在し、そこでは人間の視覚もまた視認可能な範囲の限界が存在することが書かれている。それはまず身 体能力としての視力の問題でもあり、その主体が対称へ向ける関心の有無の問題でもある。
画像左上 , 《Out of bounds 》 シリーズ (2003年 / Oil on canvas)
《The world turns over #11》 (2009年 / 730×610mm / Oil on canvas)
今回重要なのはむしろ後者だが、ここで中比良の《bird eyes》を思い出したい。このシリーズは中比良が、鳥だったらその風景のどこに関心を抱くか、を想像して描いている作品で、中比良の考える鳥の関心の対 象以外は描写が省かれている。実際の鳥がそのように視点の行く先を定めているのか正確な検証ができないため知らないが、重要なことはこのような中比良の関 心自体がその作品を大きく特徴づけているという点である。つまり中比良には、私が見ているものだけがすべてなのではなく、それは人によって、あるいは他の 生物によって様々に変化しうる、きわめて不確かなものであるという認識があり、それが作品に表れている。