2009年8月5日(水)~8月23日(日) 3F mini gallery
文 / 小金 沢智 (neutron tokyo) 写真 / 表 恒匡
行千草は動物と食べ物を一つの画面に共存させ、その中では欠陥やおかしなところなどまったくない、それ自体完全に自立しているかのごとき世界を描き上げ る。動物が小さいのか食べ物が大きいのかわからないが、動物と食べ物の縮尺は不自然であり、ダルメシアンがディナープレートの上に寝転んだり、フラミンゴ がマカロンを突ついていたりする。あるいは所々溶けはじめているアイスの中にシマウマが佇んでいたり、バームクーヘンの上に鳩が停まっていたりし、私はそ の光景を奇妙で不可思議なものとして受け取る人が大半だと信じるが、しかし作品の中の動物はそのことを奇妙なものと考えていない。つまりさもそれが〈私た ちの正しい世界〉であるかのように振る舞っているように見え、そのことが作品の奇妙さをいっそう増幅させている。
左:《macaron 》(2008年 / F6 / ドンゴロス・油彩)
右:《ice》(2008年 / F6 / ドンゴロス・油彩)
《空・バームクーヘン》(2009年 / SM / ドンゴロス・油彩)
行は2007年からそれ以前の抽象的な作風とは一転してシマウマとダルメシアンを作品の重要なモチーフとして扱い始めるが、今回も展示した同年制作の三 点、《わきたつ・夢・犬》(キャンバス・油彩、F100号)、《縞月夜》(キャンバス・油彩、S100号)、《斑・母子》(キャンバス・油彩、F100 号)から明らかなのは、作家がまずそれらの動物が体に有している模様に関心を抱いていた、ということだ。《縞月夜》はシマウマから抜け出るような形で風景 と縦縞がシンクロしているし、《斑・母子》のダルメシアンの斑点も外界に同様の模様が認められる。《わきたつ・夢・犬》はそのようなモチーフと外界との重 なり合いはないが、だがそのことこそ作家が、むしろダルメシアンの造形的な面白さだけで作品になると考えていることの証左にほかならない。これらの作品 は、行が小品では積極的に用いている荒い麻布のドンゴロスではなく支持体にキャンバスを使用しているために画面の雰囲気は比較的明るいこと、画中に食べ物 が現れていないことがその後の作品と大きく異なっている。
《縞月夜》(2007年 / S100 / キャンバス・油彩)
左:《わきたつ・夢・犬》(2007年 / F100 / キャンバス・油彩)
右:《斑・母子》(2007年 / F100 / キャンバス・油彩)