動物と食べ物の共存以後の作品については冒頭に戻るが、前述したようにその作品世界はきわめて特殊である。なぜバームクーヘンから虹が出ているのか、なぜ シマウマがホットドックの上に乗っているのか、作品からその理由を推し量ることは難しい。したがって、行は好きなものを描いていると言うが、そのユーモア はともすれば唐突に過ぎ、鑑賞者が作品との距離を感じてしまうことは十分にありうる。
《バゲット・砂漠・縞馬》(2009年 / 41.0×121.2cm / ドンゴロス・油彩)
左:《dinner》(2008年 / F6 / ドンゴロス・油彩)
右:《blue sky》(2009年 / F6 / ドンゴロス・油彩)
その唐突さとは、作品内で動物と食べ物が親密な関係を持っていない場合に特に感じられるものだ。たとえば《dinner》(ドンゴロス・油彩、F6号、 2008年)であれば、もしかしたらこのお皿の上で寝ているダルメシアンはこのあと食べられてしまうかもしれない、といういささか残忍な想像を膨らませる ことができるが、《寿司・縞・馬》(ドンゴロス・油彩、F6号、2008年)のように縞馬が何食わぬ顔でその中を歩いているだけの作品だと、鑑賞者はその 関係性を掴めず、どう判断していいかわからない。動物がおり、食べ物がある以上、食べる / 食べられるの関係を少なからず期待してしまうのだ。それとも行は前段階で動物の造形に関心を抱いていたように、作品内で物語を構築するというよりは絵画的 な構成の方に強い関心があるのだろうか。そのどちらもかもしれないが、ともかく現段階ではこの先どう展開していくのか読めず、動物と食べ物の関係はこのま ま平行線を辿るかもしれないし、一転して良好な関係を築くかもしれない。どちらにせよ、それは鑑賞者を驚かせて止まないだろう。
《寿司・縞・馬》(2008年 / F6 / ドンゴロス・油彩)