中村 裕太 展「めがねや主人のペンキ塗り」
2009年10月7日(水)~10月25日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
今年の一月からオープンしたneutro tokyo は、南青山の閑静な地域に位置する一戸建ての物件との出会いから始まった。築8~9年と聞かされたその白くて四角い建物は、まだ新築といっても通るほど痛 みもなく、近隣からも違和感を伴って浮いていた(今でもそうであるが)。元は二世帯に渡ってオーナーが変わった住居であるのだが、建築主である初代オー ナーの趣味であったのだろう、外壁どころか内壁に至るまでことごとく白く塗られた建築と空間は、あまりにも出来過ぎた印象と、やがてすぐに手放されること となる運命の悲哀を塗り込めているようでもあった。吹き抜け有り、中庭有りと趣向を凝らした建物ではあるが、おそらくは「住む」という本来の目的にとって はいささか無理が生じた部分もあったのだろう。はっきり言えば住みづらかったのか、あるいは二代に渡るオーナー達の経済状況が悪化して手放さざるを得な かったのか、本来の目的も果たさず、そのユニークな建築ならではの付加価値も発揮せぬまま、この建物は次なる住み手を待っていた。
しかし私はここに住むのではなく、当時建築設計に携わった人間が思ってもいなかったであろう目的に使用している。つまり「住む」という目的を感じさせな がらも実際は誰も住んでおらず、最低限の家具と設備をもった美術作品の展示空間として使用しているのである。この建物は築10年にも満たないうちに住むと 言う本来の目的を放棄させられたのだが、一方では常に居住空間であるという前提を誇示し、訪れる人を楽しませてもいる。
そんな空間において、現在は事務所として使っているスペースがあるのだが、よく見れば床も壁もタイル張りである。隣接のトイレも同様。実はここは、フラ ンス映画でブリジット・バルドーが湯浴みをしていそうな猫足のバスタブが置かれていたバスルームだったのだ。リノベーション(と言っても主に改築したのは 一階のガレージと小部屋を全面的にギャラリーにした部分だが)の際に最後まで頭を悩ませたのが、このバスルームである。まさかお客様もスタッフも、ここで 風呂に入ることはあるまい。事務所や在庫置き場の必要性もある。迷いに迷ったあげくバスタブも撤去したのだが、その可笑しな存在たるや見事であった。そし て現在はその名残をタイルが示すのみである。
中村裕太は陶芸を学ぶ中で特にタイルという素材に興味を示し、やがて現在に至るまでその歴史を探り、大学院の博士課程進んで以降の個展、グループ展では 全てタイルにまつわる制作・発表を続けている。2007年のneutron(京都)の個展ではタイルの表層に釉薬でつけた色彩と凹凸、それらを幾何学文様 のように配置することで全体像を響き合わせ、床面だけの展示によって鑑賞者に足元からの思考を促した。その後の発表では壁掛けのタイル張り平面作品によっ て風景を出現させたかと思えば、カラーパターンを用いて色彩による人間の受け取る印象の変化を炙り出してもみせた。直近の個展(2009年、 neutron kyoto)ではギャラリーの床一面に敷かれた白色タイルに、実はうっすらと文字が焼き付けられており、一枚のタイルに一文字づつ配列されたそれは、まる で原稿用紙に書かれているかのように、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の一節を引用したものであった。
中近東の建築に伝わるアラベスクの文様と、日本の家屋に用いられる機能性を重視した「水場」の壁・床材としてのタイル。それらが融合したと思われる銭湯 の富士山のタイル絵。それらが指し示すタイルの可能性は実に幅広く、日用と芸術の間を埋める役割すら担いかねない。まさに中村はここに着目し、今度は建築 と造作の関係を見やりながら、東京の物件にタイルを敷こうと試みる。
中古物件にはピカピカの新築には無い、使い手の染み付けた味があり、一方では目的を変更してでもその場を活用しようとする前向きなエネルギーがある。だ からこそ案外居心地の良いものであり、残された造作は本来の趣旨を失ってもなお、人間の生活に寄り添うことを止めない。中村によって張られたタイルは後付 けの真新しいものであったとしても、私達はなぜかそこに懐かしさを感じ、やがて訪れるはずの空間の再生をイメージすることだろう。