石井 春 「ポルトガル勲章 "Ordem do Merito" 受章記念展」
2010年11月17日(水)~12月5日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
「アズレージョ」という、ポルトガルで16世紀から今に至るまで続く装飾タイルは、それ自体が芸術作品でもある。膨大な数のタイル一枚一枚に絵付けが施さ れて、それらが大きな建築やパブリックスペースに配置され、整然と並べられることにより、スケールの大きな視覚芸術が展開されることになる。同時にそれは 単に芸術のための展示ではなく、人々の生活の中の空間・環境に配されるものでもあるからして、必然的に多くの人の目に触れ(実際に手で触る事もできる)、 季節や時間の変化とも共存し、長い年月を人間とともに過ごすこととなる。額に納められ、丁重にうやうやしく扱われる藝術と違い、子供から老人まで等しくア ズレージョに触れ、その色や描かれたイメージを楽しみ、建築や空間設計に欠かせないものとなっている。
ポルトガル共和国と言えば、スペインと並び日本の西洋文化に対する開眼に功績を残した国であり、地球儀を見れば日本の真裏に位置する遠い国でもある。し かしながら昨今では世界共通言語とも言えるサッカーによってポルトガルの選手の活躍を目にし、少なからず親しみを感じる向きもあろう。国土は西ヨーロパの イベリア半島に位置し、日本の中での長崎県のように海に飛び出した格好で、北と東にスペインに接している。総面積は92,391km2 で人口は10,707,000人。日本が総面積377,835km2 に対して127,156,000人だから、日本の4分の1程度の国土の中に人口は日本の10分の1程度の少ない割合で存在している。小さくても文化的歴史 は古く、かつては大航海時代の先駆者となったことからもわかるように、海を最大限に利用した政治・経済そして文化の伝播者であるという印象は強い。
石井春がそれを習得しようと発起してポルトガルに渡ったのは1995年の事だというから、それでもまだ15年しか経っていない。しかしながら作品のパブ リックコレクションの多さに見られる様に、今や日本におけるその分野の第一人者として確立され、今でもポルトガルと日本を行き来しながら精力的に制作発表 を行う現役バリバリのアーティストでもある。実に嬉しいことに、つい先日、彼女のもとにポルトガルからの知らせが入り、何と現地大統領から勲章を頂くこと になったとのこと。長年にわたってポルトガルの文化「アズレージョ」を日本に紹介し、美術表現として発展させてきた功績への、素晴らしいプレゼントであ る。今回の個展はもともとneutron tokyoの1階から3階までの全てを使って、石井春のキャリアを通じて培われた技術とアイデアの引き出しの多さを見せたいとの狙いがあったが、このよう な受賞記念のタイミングと重なるとは、不思議だが少なからぬご縁を感じてやまない。
昨年10月のneutron kyotoでの個展は、その特徴であるガラス張りの空間を活かし、10cm角のキューブ(立方体)の作品を32個、壁面に動きを付けながら軽やかなインス タレーションとして見せた他、中央には一際赤いタイル張りの立体作品を構え、それらの重厚と浮遊の対比が絶妙であった。アズレージョの中でも特殊で貴重な 色とされる赤は、日本の朱色よりも血の色に近い深さを持ち、焼成されたタイルの上ではぬめっとした質感をたたえて神秘的ですらある。一方の壁面の小立体は 青系の色味が目立ち、透明感と色彩の鮮やかさを発揮している。用途性を持たないオブジェとしての作品だけで構成されていたが、タイル本来の可能性やアズ レージョの普遍的な力を感じさせるには充分なものであった。今回、作家念願の東京展ではこうしたオブジェはもちろん、絵付けした食器類や天井から吊るすモ ビールまで、遊び心溢れた作品ラインナップとなる。
昨年の個展と時をほぼ同じくして公開された京都駅地下街・センター広場の作品公開設置では、青い海に鮮やかな水中生物が描かれたアズレージョを配した柱 を何本も見る事が出来る。そして傍らには同じく作家お手製アズレージョのベンチが置かれている。雑多な人々があくせく行き来するせわしくて息苦しいはずの 空間に、それらは確実に一時の涼や安息を与え、目を楽しませるものとして存在している。そこには作者による「生命と水への愛をこめて…」というステートメ ントこそあれ、「手を触れないで下さい」との注意書きは無い。ただ当たり前のようにアズレージョが存在し、人々に寄り添っている。かつての大海原を渡って きた帆船ではなく、石井春の作り出す鮮やかで平和な色の生き物達は、今の時代に日本とポルトガルの海を繋いでいるようでもある。