「 クエナイモノ 」 櫻井智子 (平面 / 墨彩画)
2011年1月8日(土)~1月30日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
伝統的な水墨画の技法「たらし込み」や、繊細な筆遣いで確かな画力を誇る櫻井智子。その最大の特長と言えるのは、モチーフとする生き物達の魅力溢れる姿そ のものであろう。墨で生き物を描くという行為自体は古くから繰り返し試され続けており、何も目新しい行為ではない。特に日本においては雪舟らそうそうたる 画人によって掛軸から襖絵、絵巻物に見られる鳥獣戯画まで、数多の作品が残されてきているので尚更である。にも関わらず作家が現代においてもなお果敢に挑 もうとするには、それ相応の理由と覚悟があると言って差し支えないだろう。
もともとは背景に装飾的な絵柄を配し、いわゆるイラストレーションとしての水墨画を制作していた作家にとって、転機が訪れたのは2007年から2008 年にかけての事。当時から描画力には光るものがあったが、いわゆる水墨画・墨彩画然とした絵の内容は正直なところ新味に欠けていた。モチーフも龍や麒麟と いった伝説の(想像上の)生き物を描いていたので、様式美にとらわれていたと言わざるを得ない。しかしながら、それまでの作家自身が拘泥していたディテー ルをあえて排すことにより、驚く程の作風の変化と、隠されていた作家の制作の本質が一気に明らかになることになる。
ではその本質とは何かと言えば、それはまさに描こうとするモチーフそのものに在る。古典的な空想の産物は姿を消し、描かれるのは動物園や図鑑でお馴染み の現存する生き物に替わった。背景には何も描かれず、ただ白い和紙のまま貼られているのみ。ストイックなまでに削ぎ落とされた画面には、しかし従来感じる ことの出来なかった迫力とリアリティーを伴って、数多くの生き物達が描かれて行くことになる。だが決して珍しくない生き物達を描くことがなぜ転機になった かと言う理由は、作家本人がモチーフとして選んだ生き物達に深い愛情をこめた眼差しを向け、同じ地球上に生まれながら人間以外の生命が排除され、あるいは 都合良く飼われ、繁殖あるいは絶滅してきた事に対する強い危機感とアンチテーゼを持つに至ったことに他ならない。櫻井は紙に筆という最小限の画材を用い て、しかし最大限の観察と考察を重ねた結果、絵本にも図鑑にも、そして動物園や水族館にも見る事の出来ない、生き物達のユーモアと造形美溢れる姿を思い 切って活写することを実現したのである。2008年のneutron(京都)での初個展では、こうした劇的な変化を伴って全くの新しい境地を開拓し、いき なり注目を集めるようになった。それ以後、2009年のneutron tokyo、さらに2010年のneutron kyotoと年に一度のペースで意欲的な個展を続けているが、その内容及びコンセプトは洗練と広がりを重ねている。なにより、作家自身が自分に訪れた転機 を前向きに受け止め、楽しくて仕方がないと感じている事が最大のモチベーションとなっているのであろう。
だが誤解して欲しくは無いのは、櫻井が地球上の絶滅危惧種を憂いているからと言って、悪名高きグリーン・ピースを始めとする一部の過激な環境保護団体 や、安易に動物擁護を訴える者達と同様の思想を掲げているわけでは無い。櫻井は間違いなく美術作家としての立場から、ペットや食用にもならない多くの素敵 な生き物達の姿を次々と描くことにより、そもそもの生物の多様性(形状や色彩、機能、成り立ちなど)に思いを馳せることから結果として現在の生き物が置か れている状況を知り、なお制作を繰り返すことにより、現代人に自分の感じた気持ちを伝えようとしているものである。私達人間は他の生物と同様、食べること でしか生きられないのだから、その為に生き物を殺すことを否定しても始まらない。だが、櫻井が唱えるのは、食べたり可愛がったりして人間の役に立つ、親し みやすい生き物だけが生物ではないというメッセージである。今展覧会のタイトルとなっている「クエナイモノ」がまさにそれを言い表しており、食べられない /食べたくもない生き物達の中にも、まじまじと見れば実に魅力的で、面白いものたちが多いことを感じずにはいられない。櫻井の描く構図や技法、色遣いもそ れぞれの個性を引き立たすため、全てにおいて創意工夫が感じられる。今回の発表作品には2010年に京都で出した、100羽を超えるペンギンの群像も含ま れる。一方ではダイオウイカとマッコウクジラによる迫力満点の格闘シーンも見物である。私達日本人は古来から海や陸の生物達と共存共栄し、世界にも名だた る食文化と美術を生み出して来た。そして今こそ再び、私達の隣人であり友人である彼らと、共に生きて行くことを想起すべきなのではなかろうか。