「 YANOTOHEN Ceramic Art Company 」 矢野耕市郎(陶)
2011年2月23日(水)~3月13日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
大谷焼の窯元、「矢野陶苑」の五代目を継承する矢野耕市郎にとって、今回が初の個展であるばかりか、お披露目という意味合いも持つ重要な機会となる。縁 あって知り合った彼は実は未だ本格的な作陶歴は数年、つい最近までバンドでドラムを叩くのに夢中だったというから面白い。もちろん生まれながらの環境のせ いで土に慣れ親しんできたのは言うまでもないが、代々継承される窯元の名跡とは案外気軽なものだな、と感じたのも事実である。だがそこには自身の相当の覚 悟が備わってのスタートであることは、言い足しておこう。
有田や伊万里といった有名産地に比べると、大谷焼の存在はかなりマイナーだというのは失礼を承知で言わざるを得ない。その質感、特徴をすっと答えられる 人はよほどの陶芸通に限られるだろう。事実、私も名前は聞いたことがあったが見た事も触れた記憶も無かったのだが、彼の登場によってにわかに興味が湧くこ ととなった。そもそも徳島県の特産である藍染め(阿波藍)の色素を沈殿させるための大きな瓶(かめ)や壷を作っていたのがその発祥とされるから、私達が日 頃手にする湯呑みや器といった用途に見られるようになったのは比較的最近のことであるらしい。阿波藍の事をインターネットで検索すれば、そこに必ず大きな 土色の瓶が写真に映っているので参照されたし。このような土着の工芸文化の中でユニークな需要に端を発した大谷焼は、その特徴として地元の赤土の風合いを 生かし、素朴で無骨なイメージを受け継いでいる。やはり今でも大物陶器を焼く事を得意とし、それを焼く登り窯は日本一と評されるほどだそうだ。
そんな歴史を持つ大谷焼に、矢野耕市郎は現代的な解釈と新しい挑戦を持ち込もうとしている。それはいかなる地方でも起こりうる陶芸の歴史の必然的な現象 であり、大谷焼にとっても待たれていた事であろう。最初に彼が見せてくれたのは、自身の代表作と言う滑らかな手ざわりと上品な装飾文様を施した皿や湯呑み であった。手にした感触は表面が鑞のようにしっとりと磨かれ、かつ文様が彩色でも釉薬の効果でもない独特の見え方をしていたので尋ねたところ、「練上(ね りあげ)」という手法だと説明してくれた。簡単に言えば文様そのものが土の練りと組み合わせによって形成されており、それらを集合させ、全体を組み合わせ た上で焼き上げ、仕上げるという工程を辿ると言う。つまり文様は金太郎飴のように表面から裏側(内側)まで貫通しており、土と土が馴染むことによって文様 は静かに調和し、かつ全体の質感は統一される。その工程を想像するだけで気が遠くなる様な作業だが、作陶歴数年の若き五代目がいきなりこの手法にチャレン ジするあたり、並々ならぬ決意が見て取れる。無骨な土色をアイデンティティーとしてきた大谷焼に、彼は間違い無く洗練と新味を提唱し、新しい歴史を生み出 そうとしているのである。
思えば窯元とはファッションブランドにも似ている。創業者の打ち立てたポリシーとブランドイズムは、大きな器のように発展する中で様々な可能性と方向性 を孕み、次第に時代のニーズや風潮によってラインナップは細分化され、かつデザイナー(窯元で言えば作陶家)が代替わりすることによって新しいアイデン ティティーを加算して行く。その歴史は古いものを否定するのではなく、常に積み重ねの上に成り立って行くものであり、周囲はその長い歴史そのものを評価し て敬愛することだろう。だからこそデザイナーである作り手は強い使命感を持って時代に立ち向かい、伝統文化を継承するだけでなく自らの代で新たな価値観を 確立することを目指す。それはとても幸福な仕事であり、その責を継承する者だけに許される特権でもある。若手陶芸家達が「へうげもの」や「イケヤン☆」と いったムーブメントの中で活躍する昨今、陶芸に対する一般の目は確実に興味を増し、期待はますます高まっている。矢野耕市郎の登場によって大谷焼の名は全 国にどれほど響くだろうか。なに、軽妙にドラムでリズムを叩いていた彼の事である。今の時代の空気とグルーブは充分に彼の体に染み付いており、それはロク ロの回転や手の動きに伝わって心地よい味を醸し出すことだろう。