「 月よむ花 」 稲富淳輔(平面 / 陶)
2011年4月27日(水)~5月15日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
若手の陶芸ムーブメントが盛んであるが、それとは全く一線を画した、なんともユニークな作家をここにご紹介したい。稲富淳輔は京都造形大学在学当時から地 味で素朴なオブジェを作り、インスタレーションとして展示する手法で一部の評価を得、卒業後は東京、京都、神戸の個展を成功させて着々と足場を固めてい る。昨年末には妻である画家・忠田愛との共同アトリエ兼自宅を滋賀県に移し、より広く制作スペースを設けることに腐心してきた。だが彼は巷を賑わす器や茶 道具と言った用途のあるものを作っている訳ではなく、かといってバブルの時代にそこかしこに設置された無駄に大きなオブジェを誇らしげに見せる訳でもな い。
彼が生み出すフォルム(造形)は、紛れも無く壜(びん)や壷といった、日頃私達が親しんでいるそれの姿である。無垢な表面の質感は滑らかで人間の皮膚の ようにも感じられ、実はそこに何重にも重ねて焼かれ、磨かれ、彩色された跡を知るとき、あるいは手に持ってみて予想外の重量に驚いたとき、私達は彼が作り たい物はいわゆる日常の道具としての容れ物(器)ではなく、あくまで造形物としての「うつわ」であることに気付くだろう。事実、例えば壜のような形をして 見える作品には、焼き物には不可欠な空気穴として最低限の穴こそ上部に空いているとはいえ、とても牛乳やお酒を入れるためのものとは言えない。だがしか し、彼にとって内部は空洞でなければ「うつわ」としての意味を為さないため、やはり構造的には限りなく私達の使う壜と近い。内部に空洞を持つ形態に留まら ず、彼はカップや碗のようなものも作る。それらは彼の意図を知らなければ、用途を思わずにはいられない形状なのだが、しかしやはり、彼は使うためにそれを 作ってはいない。それらはあくまでも存在として、概念としての「うつわ」なのだ。
それを一段と強調するように、近年彼は絵を描いている。もはやここに至っては「陶芸作家」と呼ぶことすら躊躇しそうになる。いや、彼は「うつわ作家」な のだろう(もちろん用途性の無い、形而上的な「うつわ」を作る者として)。オイルパステルでぐいぐいと力強く描くそれは、やっぱりあまり色気の無い、地味 な、しかしなぜか味わいのある「うつわ」達である。全くもってその印象は、彼が土を焼いて生み出す立体的な「うつわ」と同質の印象を持っている。つまり は、彼の描く絵もオブジェも、表現したいものとしての方向性は全く一致していると言えるだろう。その証拠に、既に昨年の京都個展(neutron)でも壁 に絵を一点、その足元の床にオブジェを一点(または数点の組み合わせ)と言った具合に、実直なまでに対比させる手法で展示してみせた。その印象は、自身の ポートレート写真や肖像画の前に佇む本人、といった具合である。果たしてどちらが本体で、どちらが映し姿なのか、それすらもぼんやりとしてくるが…。
おそらく稲富にとっては立体的にも平面的にも表せるものであり、かつ充分とは言えない何かが、「うつわ」のイメージそのものなのだろう。私達人間のよう な個体差や内面的な個性を有するキャラクターとして見ることも可能であるし、あるいは何かが満ちる(満たされる)ことを期待する「容れ物」としての存在、 すなわち(それを満たす液体が無い以上)未完・不足であり続ける姿、とも考えられる。だがそれならば、この「うつわ」達には何が満たされれば良いと言うの だろう。物質を離れて概念上の存在として考えれば、そこに入るべきは思想、知識、経験、感情のようなものかも知れない。あるいは水や血液の様な生命維持に 欠かせないものであっても良い。だがもっと根源的に、稲富は「うつわ」が人間にとって太古の昔から必要とされてきた何かであることを伝えたいと思ってい る。日用の道具として、神器として、政(まつりごと)の象徴として、占いのアイテムとして。人間はその「うつわ」に何かを満たす時も、空のままにしておく 時も、用いる時も用いざる時も、「うつわ」を傍らに置き愛してやまないという事実こそが、私達が稲富淳輔の作品に魅せられる理由でもある。