「 TRANSFORMATION 」 三尾あすか&三尾あづち(平面 / 立体 / インスタレーション)
2011年6月8日(水)~6月26日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
日本に激震が走り未曾有の大災害がもたらされて以後、未だ被災地の傷は癒えず事態は深刻化・長期化の一途を辿っている。かろうじて大きな被害を免れた東京 とて、経済・市民生活への影響は続くであろう。私達日本人が戦後復興から今に至るまで信じてきたインフラ、原発の神話は崩壊し、埋め立て首都圏の脆さを露 呈させ、日本の根幹をグラグラと揺さぶる出来事であることは疑う余地もない。だが一方で、我々日本人が驚いたのは、世界各国からの日本に対する温かい励ま しと、この危機に直面してなお冷静に・譲り合いの精神をもって行動する日本人の姿に対する賞賛であった。私達はこの60年以上、経済大国たることを最大の モチベーションに世界の舞台に君臨することを目指し、時にはエコノミック・アニマルと揶揄されることもあった程。最近ではアジアの中での緊張関係も続き、 時として「ガラパゴス列島」として日本は世界のシーンから取り残されるとの危機感すら叫ばれていた。だが、今ここで感じるのは、そうした日本の歩みを同時 代的に共有しながらなお、世界は私達に温かいという事実だ。おそらくそれは政治・経済・諸問題を置き去りにして、この20-21世紀に日本が最も影響を与 えたと思われる「文化」のせいではないかと、考えられないだろうか。その「文化」に含まれるのは、漫画やアニメ、文学、映画、音楽、ファッション、建築、 デザイン・・・そして美術であると信じたい。世界は私達日本人が感じる以上に日本を愛している。日本の文化を尊敬し、大切に思っ てくれている。
思えば日本が戦後復興から世界の主戦場へと返り咲き、国威高揚の最たる機会として大阪で万国博覧会を開催した1970年当時。まさに今年、生誕百年を向 かえてリバイバル一色の岡本太郎は、実は日本の進むべき道を物質(経済)ではなく精神的な豊かさ・人間固有の尊厳だと訴えるのに必死であったとされる。あ の太陽の塔は近代的な建築の中で「ベラボー」な人間臭さ、普遍的・根源的な精神の崇高さを象徴する異端の像であったことは、近年の再研究でも知られてい る。皮肉なことに現在では周囲の建造物は跡形も無く、太陽の塔のみが残され、神格化されている。岡本太郎その人は当時から賛否両論激しく戦わされた人物で あるが、間違い無く言えることは、その当時から今に至るまで、日本人の誰もがその顔と名前と作品を想起出来る唯一の美術家・芸術家であったということだ (※美術に関わる人々の中での話ではない。ごくごく一般の、大多数の世間においてである。そして今なお、その事実は変わっていない。)。
激動の時代に得意なキャラクターと異端の表現をもって活躍する美術家は、美術史よりも人類の歴史そのものにおいて無視出来ない。そして究極の意見を言わ せてもらえるなら、そこに到達出来た者こそが、美術家として真の社会的役割を果たした者ではないだろうか。現在において、欧米主導の「現代美術」の疲弊が 次第に表面化し、文化・経済の主戦場がアジアに移りつつある中、東洋の精神性と高い技術力が美術において再評価され、やがて新しいグローバルスタンダード が見えて来るであろう、まさにその前夜である。「現代美術」という言葉は既に「現代」を表してはいない。そこから先に、私達日本人の感じる普遍性・必然性 を取り戻し、人間の生み出す表現の神髄を探るべく道を進むことが、近い未来の美術が社会的存在価値を向上させる唯一の道であろう。そして今ここに私達が直 面した物質的崩壊の前、しばらくの間私達日本人がとらわれていた私的感情の無限のスパイラルから今こそ脱却し、本当の魂の在処を求め、力強く表現を行う者 こそが、本物の美術家であると私は信じている。
三尾あすかと三尾あづちの双子姉妹に私が託すのは、決して安易で軽薄な理想ではない。日本のアートの未来を担うアイドルたれ、とは即ち、これからの日本 文化を牽引する上で欠かせない推進力として、留まることなく時代の先端に存在し続け、その使命を全うすることを期待するものである。かつて岡本太郎がそう であったように、日本国民、世界の人々の目に触れ、時代の意識を先導し、時に煽動し、知性と文化を尊ぶ真の21世紀の在り方を示す美術家として。類い稀な るセンスと愛すべきキャラクターはもちろん、常に前向きに進む姿勢こそ彼女達の最大の武器となる。そして「一人」では実現出来ない事もまた、「二人」であ れば必ず実現出来る。同じDNA を持つ双子は個々の表現に磨きをかける一方、合作(コラボレーション)によって生み出す作品では驚きの融合を果たし、まさに第三の人格・「あすあづ」を出 現させる。「1+1=2」ではない。彼女達の場合、「1+1=∞(無限大)」である。
この展覧会のタイトルは、岡本太郎が好んで用いた「メタモルフォーゼ(変態、変身の意)」を受け、「トランスフォーメーション(変質、変容)」と名付け た。京都、東京、名古屋・・と続く旅路の果てには、おそらく私達が今想像することも出来ない、大いなる希望が誕生するであろう。この化学反応は、止められ ない。