冬 耳 展 「夢中でジャーニー」
2009年6月3日(水)~6月21日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン 桑原 暢子
驚く程の絵具の数。それらを駆使し、画面を構成していく。油絵のように色を塗り重ねて行くのではなく、一つ一つの面を塗り進めていく。面を塗りながら、次 はこの色にしようと全体のバランスを整えながら画面を構成していく。隣り合う色が全く合わないかも知れないし、違和感を感じさせるものかも知れない。しか し気の合わないそれらの色の隣にまた違う色を塗ると、さっきまではいがみあっていた色達が仲良く手をつなぎ出す。隣り合う色がそれぞれ調和するのか、しな いのか。そしてそこから作家がバランスを整えられるか否か。冬耳はもちろん前者である。見る物を釘付けにする画面構成を作り上げる彼ではあるが、やはり色 に関しては一期一会なのだろう。二つ以上の色を混ぜ合わせて作られる新しい色との出会い。絵画において、その出会いはとても大切なもので、画面を司る大き な要素の一つである。しかし彼は色を混ぜることなく、原色のまま、つまりチューブからの絵具のみを使って画面を構成する。それは「光」によって私達の目に 届く「色そのものの形」なのではないか。
“ ほしのひかりは天文学的な時間旅行を経てボクのもとにやって来た。”
光があって初めて物の形を認識でき、色を把握できると小学校の理科の授業で習った。光のしくみと同じく「宇宙」という項目で天体についても勉強した。星 には大きく分けて二種類存在し、太陽のように自らが光を発している恒星と、地球や月のように恒星の光を反射して空に光り輝くものである。どちらの星であっ ても、私達のもとへ運ばれてきた星の光は一つの小さな輝きとなるため、その姿形ははっきりとはわからない。しかし、その輝きこそがその星がそこにある (あった)ことの証で、長い長い年月を超えて私達に自分の存在を示しているのだ。目の前にある作品は星のように大きな質量を持った存在ではないかも知れな いし、キャンバスに塗られている絵具は作品に比べると更に小さな粒の集まりである。その小さな粒はキャンバスの上で光を反射し、確かに私達のもとへと自分 の居場所を教えてくれる。それは星達が旅した時間や距離とは比べものにならないほどとても短く、とても近い距離ではあるが、目の前の色や形は私達のもとへ と旅をする。そう、私達の目に飛び込んでくる冬耳の作品とは、短いながらも旅をした小さな物質の輝きなのだ。まさしく「ひかりによる色の小旅行」、それが 私達がギャラリーで受け取る冬耳からのプレゼントなのだ。しかし彼が「旅」というのはそれだけではない。白いキャンバスの上に鮮やかな絵具をのせていくこ と、踊るように絵筆を走らせること、とびっきりの線を描くこと、私達がギャラリーへと足を運ぶこと、作品と楽しく対話すること。大きな意味でも小さな意味 でも、全てにおいて旅なのだ。それはきっとギャラリーからの帰り道、彼の作品との小旅行とともに家路へと旅することでもあるのではないだろうか。
東京と京都。二つの会場での個展だけではなく実は大阪でも四月に個展を開催している。それらの個展に共通するキーワードが「ひかり」と[旅]である。私 にとってこの二つの言葉から連想されるのは「新幹線」である。まさに「ひかり号の新幹線に乗って旅に出る」という短絡的な考えに至ってしまう自分が情けな い。それならここにこのように記載しなくてもと思われるかも知れないが、実際に彼は大阪→東京→京都の順番にひかり号と同じルートで関西と関東の間を往復 する。大阪、東京、京都を作品が旅し、冬耳が旅をする。真っ白なキャンバスの上で旅をする彼の目的地はどこだろう。彼はキャンバスの上に絵筆を走らせ、ど こへむかっているのだろう。私も「彼の旅する絵画」を目撃するため、旅に出よう。