ヤマガミ ユキヒロ 展 「Sleep Walking」
2010年4月7日(水)~25日(日) [ 会期終了 ]
ギャラリーニュートロン代表 石橋 圭吾
1999年の個展デビュー以来、当時「ミクストメディア」と表現された混合技法によって数々の話題作を生み出し、気づけばヤマガミユキヒロにとってのキャ リアは10年を超えた。もちろんそれは作家にとっては始まりの過程に過ぎないとしても、その10年の間の作品の変遷は一つの時代を切り取った表現として意 味のあるものばかりであり、切望された今回の東京初個展はその集大成とも言えるものである一方、常に新たな表現の地平を目指す作家の意欲的な新作発表の場 ともなる。
大学での専攻課程が油画であるため、一般にはやはり絵画を基本とした作家であるとの認識が最も多く当てはまるのであろうが、実はもう一つ彼には切っても 切り離せない表現手段としての、「写真」がある。彼のプロフィールを見れば、受賞の欄に2008年の「岡本太郎現代芸術賞」特別賞の上にあるのは、 2000年の「Mio 写真奨励賞」優秀賞であることに気づく。これは関西で写真表現を志す者にとっては登竜門としての位置づけにある公募であり、例えばCanonが主催する 「写真新世紀」の様なものだと言えば分かりやすいだろう。ヤマガミユキヒロがこの時期に写真を主体とした公募に出願し、しかも高い評価を得ていたというの は、単に闇雲に作品を世に出そうとしていた訳ではなく、むしろ自身の作品の成り立ちを冷静に見極めた上での判断であったことが今更ながらに窺い知れる。以 後彼はそのような写真領域の公募に出展することも、自身の制作を「写真」と表現することも無いが、彼の様々な制作スタイルの根幹には必ず、世の中(特にモ チーフとする現代都市)を自らの目でスナップして切り取るというスタンスは不変である。
彼の代表的な制作スタイルである、現代都市のとある光景を油画で精密に描いた背景に、実際にそのロケーションで撮影した車や人の流れを映像として投影す る「キャンバスプロジェクション」のシリーズは、今に至るまで革新的な表現手法として取り上げられ、関西では数々の若手作家の選抜展に選ばれて来た。いよ いよ東京で彼の試みが見せられる瞬間が訪れようとしているのだが、それは全く色あせることのない普遍的な都市の印象として、確実に鑑賞者の網膜に残る映像 となることであろう。
写真は彼の制作だけでなく、もっと本質的な「見方」(世の中を見る上での)として、深くヤマガミユキヒロの体内に組み込まれている手段と言えるだろう。 彼は時に映像としてだけでなく、音声をスナップ(サンプリング)することも試している(「The Disorderly Space」(2004年 / neutron B1 gallery)。キャンバスプロジェクション以外の制作シリーズにおいても、やはり基本的な手段として写真撮影が採用されており、空の光の印象の移ろい を表した「LightScape」(2007 / gallery neutron)でも、大量のポジフィルムが全体を構成するピクセルのごとく大きなライトボックスのテーブルに配された。
昨年のneutron kyotoでの個展は映像のみのインスタレーション「SynchroniCity」を発表したが、その画面構成は彼の得意とする一点透視図法を忠実に守っ ており、左右それぞれの画面が微妙にずれて次第に異なるロケーションを映し出す中で、全体の印象としては何かが共通している、つまりシンクロしているとい う事を見せるものであった。映像としては動いているものの、背景となるどこかの都市の姿は意図的に固定され、人や車の動きこそが移ろいゆく世の中を表して いる。元来、西洋画の古典的なパースペクティブ(遠近法)を愛する彼の姿勢は一貫してどのメディアでの発表にも現れ、彼が筆を持とうと持たなかろうと、ヤ マガミユキヒロの視点は揺るぎなく鑑賞者へと浸透することになり、もはや「ミクストメディア」という曖昧な言葉では片付けられないほどの現代メディア表現 が成立するのである。それは時代を切り取る確かなレンズとしての目と、時代を描き切る画家としての腕があってこそ成せる業であり、おそらく同種の試みをし ようとする他の作家の追随を許さない。
現代美術という言葉に踊らされず、一貫した視点を時代の中で柔軟に・革新的に表現することによってこそ、まさに彼は現代を表現する美術作家へと成長を遂げつつあるのだ。