衣川 泰典 展 「束の間の私達」
2010年10月6日(水)~10月24日(日) [ 会期終了 ]
【略歴】
1978 京都生まれ
2002 京都精華大学芸術学部造形学科版画分野 卒業
2004 京都精華大学大学院芸術研究科造形専攻版画分野 修了
【個展】
2002 「a floating sight」(PRINZ / 京都)
2003 「transparent space」(ノマルエディション / 大阪)
2004 「間にうかびあがるもの」(ギャラリーマロニエ / 京都)
2006 「ヨゾラノニジ」(gallery neutron / 京都)
2008 「ふれて / みる」(gallery neutron / 京都)
「I touch as seeing」(ギャラリーAO / 神戸)
「未知なものと既知なもの」(neutron tokyo / 東京)
2010 「視点のコレクション」(名芳洞blanc / 愛知)
「みえないものにふれてみる」(neutron kyoto / 京都)
【主なグループ展など】
2001 「PRINT Exhibition 2001」(同時代ギャラリー / 京都)
2002 「本物らしい非現実」(ギャラリー千 / 大阪)
「Mixture」(海岸通りギャラリーCASO / 大阪)
「NEWTRAL PACK 次代の版画」(名古屋芸術大学Art&Design center gallery BE&be / 愛知)
2003 「WORK IN PROGRESS 2003」(GALLERY ARTISLONG / 京都)
「ART CAMP IN CASO」(海岸通りギャラリーCASO / 大阪)
2004 「京都府美術工芸新鋭選抜展」(京都文化博物館 / 京都)
「WORK IN PROGRESS 2004」(GALLERY ARTISLONG / 京都)
「Jahesgaben」(ノマルエディション / 大阪)
2005 「錦市場でフィレンツェ・トスカーナを捜そう Vol.2」(錦市場商店街 / 京都)
「市場」(mori yu gallery / 京都)
「gallerism 2005 屋台的アート」(大阪府立現代美術センター / 大阪)
2006 「京都府美術工芸新鋭選抜展」(京都文化博物館 / 京都)
「for myself ~自分用~」(gallery neutron / 京都)
2007 「二・五次元 - 絵画考 - 」(MARONIE / 京都、 wakoal ginza art space / 東京)
「裏アートマップ」(京都芸術センター / 京都)
「ふれてみる / なでてみる」(GALLERY RAKU / 京都)
「かけらな夏」(gallery neutron / 京都)
「Shangri-La,Chandelier」(The Artcomplex Center of Tokyo / 東京)
「エンディングデモ」(The Artcomplex Center of Tokyo / 東京)
2008 「現代作家立体小品展」(wakoal ginza art space / 東京、ギャラリーマロニエ / 京都)
「ART OSAKA」 neutron より出品 (堂島ホテル / 大阪)
2009 「二・五次元 - 絵画考 - 」(MARONIE / 京都)
「Image Print Project Show」(ギャラリー早蕨 / 愛知)
「白昼夢 Daydream」(愛知県美術館ギャラリーH、I 室 / 愛知)
「星に願いを」(neutron tokyo / 東京)
2010 「二・五次元 - 絵画考 - 」(ギャラリーマロニエ / 京都)
「ふれて / みる」(中京大学C スクエア)
【その他の活動】
2007 ワークショップ「影にふれてみる」(GALLERY RAKU / 京都)
2008~ フリーペーパー“ ipp ”(image print project) に参加、不定期刊行
2009 ワークショップ「つかの間のわたし」(京都市美術館 / 京都)
【受賞】
2001 「あおもり版画トリエンナーレ」・青森放送賞
2002 「全国大学版画展」・買上賞
【パブリックコレクション】
青森市民美術展示館、 町田市立国際版画美術館、 京都精華大学
「束の間の私達」
ある展覧会のレセプションの際に出会った方との立ち話のなかで、戦後活躍した銅版画家 駒井哲郎氏の「束の間の幻影」という作品との出会いの思い出話を、過去を回想しながら楽しげに語って頂いたことがある。「束の間の幻影」という作品は 1951年のサンパウロビエンナーレ展で受賞もした有名な銅版画作品です。僕が出会ったその方は、まだ若く研修医だった頃に(医療関係に携わさわっていた そうです。)たまたま入ったギャラリーでその作品と出会い、衝動的にその時の月給の全てを使って作品を購入したそうです。そのような思いに駆らせた作品と はいったいどんな作品なのだろうと思っていました。
しばらくして、偶然、国立国際美術館の企画展で作品を初めて観ることができました。暗闇の背景の中に光のような抽象形体が浮遊間を漂わせ、夜の街から光 が浮かぶような詩的な情景を漂わす作品でした。その作品を観て、戦後めまぐるしく発展する近代日本の風景を静かにみつめる作家の姿を想像した記憶がありま す。
僕は今、「* ふれて / みる」という言葉をキーワードに独自のスクラップブックのような絵画を継続して制作しています。様々なビジュアルイメージやプライベートな風景写真などを 支持体の紙に印刷物の切り貼りや彩色、描画し、自分なりに今という捉えようない時間を無謀にも果敢に表現しようとしています。
時間というのは無情にも常に進行するもので、そんな自分の表現がいかに無知で無謀な事だと、ふと痛感して思うこともあります。しかも、描くという行為は 現代の進行する社会の流れから比べると圧倒的に遅く時代錯誤な行為なのかもしれません。しかし、そんな無謀なことが、かけがえのない「時」を表現できるよ うな気もします。無謀と知りながら、ただのビジュアルイメージの集積にもみえる作品をつくり続けることが僕の作品の表現でもあります。
最近、制作が生活と密着してきていることを実感します。学生時代から作品をつくり続けている訳だけど、より作品が自身の生活に密着してきたという訳なの か…仕事とともに制作に励む兼業作家の姿が今の私。ルーティーン化した日常のなかにも、人それぞれの小さな、そして大きなドラマがある。共感できる価値観 もあれば相容れない事もある。様々な出来事に満ちた世界の中、私達はあくせくと汗を流して生きている。
戦後の目覚ましく発展する社会に希望の幻影を見つめた駒井哲郎氏の時代から時が変わっても、変わらない普遍的なものも多くあるような気がします。
僕自身の表現が現在の現代美術シーンから比べて、古典的で古臭く、きな臭くても自身の周辺を誠実に見つめることが、僕にとっての表現の核でもあります。
もはや印刷物を用いた表現は、書店で嗅いだ事のある印刷インク特有のにおいのように、古くて懐かしい表現なのかもしれません。しかし、「見たい」「知りた い」という人の根源的な欲求を貪欲に集める事で、今という時代の断片がみえるのではないかと馬鹿のように思っています。
常に更新する時間とともに、様々な物や出来事で飽和した社会に生きる私達は、儚い束の間の時のなかを生きていると言えると思います。
束の間の時を生きる私達が、スクラップブックのような絵画のイメージや素材の物質感から視覚や触覚を刺激し、記憶や想像力を掻き立て、時代の断片を垣間見るきっかけになればと思っています。