「モニターとコントローラーの向こう側へ - 美術とテレビゲーム -」 大竹竜太, 設楽陸, 林勇気, 米子匡司
2012年9月26日 (水) ~ 10月14日 (日) [ 会期中 10月1日, 8日 月曜閉廊 ]
ファミリーコンピュータ(通称ファミコン)が爆発的に世に出回ったのは、確か私が小学校4~5年生くらいの頃ではなかったかと記憶している。 それまでの「ゲーム」は同じ販売元である任天堂の「ゲームウッォチ」や外国から輸入された「アタリ」などの初期型家庭用ビデオゲーム機と、街のゲームセンターで楽しめるものであったが、やはりファミコンの流通はそれらを大きく凌駕する圧倒的な出来事であった。これ以後、時代は変わったと言っても差し支えないだろう。 いわゆるSF 映画などでCG が本格的に使われ出したのは1970年代からであるが、そうした「ヴァーチャル(仮想)」な世界はまだ日常の外に存在し、非日常としてしっかり区別されていた。 しかしファミコン以後、子供達は積極的に自身の生活にゲーム世界への没入の時間を組み入れ、親の制止もあまり効果無く、次第にヴァーチャルは日常世界と密接に関わってゆく。
そうした影響を最も受けた「ファミコン世代」は後発の新世代ゲーム機にも次々と触手を伸ばし、やがて日本のゲーム産業を世界的なものに押し上げるまでに貢献を続ける。 かたや1990年代に入り一気に世界を覆ったインターネット網によって、ヴァーチャルは現実と完全にリンクを果たし、今や世界は両方の世界によって構成されていると言えるまでになった。 ファミコン世代以後の子供達は皆、ゲームやネットはもちろん、携帯電話さえ「あって当たり前」のものであり、日々そうした端末への依存度を深めていっている。
林勇気をはじめ、今回グループ展で登場する四人の作家は皆、そうしたヴァーチャル世界との交感を通じて成長してきた世代である。 従って表現の手段にも世界観にも、仮想世界の存在が前提になっていたとしても、ごく自然の事と捉えるべきであろう。今現在の年齢がアラフォー以下であれば、ほぼ全ての人がゲームやヴァーチャル世界の影響を受けており、一昔前なら「おたく」と呼ばれた電脳少年・少女はもはや一般的な存在でしかない。 にも関わらずあえて今回、林勇気の発案でこのような展覧会を開催するにあたり、グループ展の題を「モニターとコントローラーの向こう側へ - 美術とテレビゲーム -」としたのは、むしろ自らの表現のルーツを正しく遡り、幼少のテレビゲーム体験から今に至るまでの思考と経験を辿ることによって、世代横断だけでなく縦断的な視点をも持とうとする意欲が感じられる。 いわば、ヴァーチャルとリアル(現実)の距離が縮まり続けてきた四半世紀を振り返ることにより、人間の表現の歴史の上に普遍的な位置づけをせんとする事になろう。 副題の「テレビゲーム」は妙に懐かしい響きだが、全ての発端がファミコンに代表されるそれらだった事を考えれば、当然のことである。
neutronでは久しぶりの個展を行なう林勇気は、実際にデジカメで撮影した写真素材と、インターネット空間から拾い集めた写真(画像データ)を等しく扱い、それらをパソコン上で自らの操作で切り抜き配置し動かすことで、現実と仮想が同居する半・仮想世界を映像で表現する。 RPG(ロールプレイングゲーム)に多大なる影響を受けた大竹竜太は、むしろ人間の根源的な理想は仮想世界にこそ実現されるのではないかと考え、ゲームに表現される事象を絵画に変換する。 設楽陸は子供の頃、テレビゲームを禁止されていたと言うから他の作家とは趣を変える。 むしろ憧れ続けたゲーム的世界観を独自に育み、二次元的な空間表現、アイコン的なモチーフの構築へと昇華していると言えよう。 米子匡司に至っては、自作の楽器で音楽を奏でたり、自作の自動販売機を設置してみたり、と完全にアナログな表現者のようにも見えるが、現実社会の既成のシステムを解体しようとする参加型の作品には、ゲーム的な思考やゲーミフィケーション(※ゲームデザイン手法や仕組みを用いて問題の解決やユーザー契約などを獲得すること)的な方法論を感じさせられる。
こうして見てみると、ヴァーチャル(仮想)世界とは従来言われてきた精神的な逃避の場としてではなく、それぞれの作り手にとって世界の「理想」を具現化するための実験場であり、その場における試行錯誤は美術のそれと比べても同等の価値を有するものであると、認められるべきではないだろうか。現実と仮想を行き来する4人の作家の探究心は、きっとこの先も現実と仮想の地平を限りなく近づけるだろう。
gallery neutron 代表 石橋圭吾 |